人事や総務ご担当者の皆様は、従業員の成長を願ってキャリア研修を企画・導入されていることと思います。しかし、「研修アンケートの満足度は高いのに、現場での行動に変化が見られない」「どこか他人事で、自分ごととして捉えてもらえていない気がする」。そんなジレンマを感じたことはないでしょうか。
その原因は、もしかしたら研修が一方的な「知識のシャワー」になってしまっているからかもしれません。
先日、ある企業のキャリア研修概要を拝見する機会がありました。そこには、著名なキャリア理論や自己分析フレームワークがずらりと並んでいました。それはまるで、我々キャリアコンサルタントの養成講座で学ぶような専門的な内容でした。もちろん、それらの理論はキャリア支援において非常に有効なものです。しかし、それはあくまで支援者が「使う道具」であって、キャリアの当事者である従業員の皆様に、そのまま浴びせるように教えても、なかなか心には響きません。
なぜなら、人は「正論」や「知識」だけで動くわけではないからです。むしろ、小難しく聞こえる理論のシャワーは、「キャリアとは、なんだか面倒で難しいものだ」という拒絶反応を生んでしまう危険性すらあります。
では、従業員の心が動き、行動が変わる研修とはどのようなものでしょうか。
私は、キャリア研修とは「自分と向き合うための鏡」であるべきだと考えています。
鏡に映し出すのは、決して難しい理論ではありません。
「過去」の自分:これまでどんな経験をし、何を乗り越えてきたのか。
「現在」の自分:今、何を大切にしていて、どんな強みを持っているのか。
「未来」の自分:これから、どんな自分でありたいと願うのか。
研修という安全な場で、参加者一人ひとりが、こうした「自分自身」をじっくりと鏡に映し出し、対話する時間を作ること。そのプロセスの中で、「ああ、自分は本当はこんなことを大切にしていたんだ」「この経験が、今の自分の強みに繋がっているのか」といった「気づき」が生まれます。
この「あっ、そうか!」という腹落ちした感覚こそが、人の主体性を引き出し、次の一歩を踏み出すための最も強いエネルギーとなるのです。理論やフレームワークは、その「気づき」を後から整理し、客観的に捉えるための道具として少し活用するくらいが丁度良いのです。
人事ご担当者の皆様。研修の目的を「知識を与えること」から、「従業員が自分と向き合い、幸せの『気づき』を得る場を提供すること」へ、少しだけシフトしてみませんか。一人ひとりの内側から湧き出るエネルギーは、やがて組織全体の活力へと繋がっていくはずです。
「社員の成長のためにキャリア面談を導入したいが、一体誰を対象にすれば効果的なのか?」
「良かれと思って案内しても、拒否されたらどうしよう…」
人事・総務のご担当者様であれば、一度はこんな悩みに直面したことがあるのではないでしょうか。非常に興味深いことに、多くの企業で面談後の満足度は80%を超えるにもかかわらず、受ける前の「壁」は依然として存在します。
このジレンマを解消する鍵は、キャリア面談の「目的」を2つに分けて考えることです。
1.面談の目的を「定期健診」と「駆け込み寺」に分ける
キャリア面談とひとことで言っても、その役割は大きく2つに分けられます。
① 未来のための「キャリア開発」面談(=キャリアの定期健診)
まだ表面化していない潜在能力を引き出し、中長期的なキャリアの可能性を広げるための面談です。病気を予防し、より健康になるための「定期健診」と考えると分かりやすいでしょう。
② 現在のための「キャリア解決」面談(=キャリアの駆け込み寺)
職場の人間関係や仕事上の行き詰まりなど、今まさに抱えている悩みに寄り添い、解決の糸口を探すための面談です。体に不調を感じた時に訪れる「駆け込み寺」のような存在です。
この2つの目的を混同してしまうと、「健康診断のお知らせ」のつもりが、相手には「病院からの呼び出し状」に見えてしまい、不要な警戒心や拒否感を生む原因となります。
2.目的に合わせた「対象者」と「仕組み」
目的を分ければ、理想的な対象者と仕組みも自ずと見えてきます。
「キャリア開発(定期健診)」の対象者は、「キャリアの転機を迎えそうな社員」を中心に、できるだけ多くの方が望ましいでしょう。例えば、「入社3年目」「30歳」「新任管理職」といった節目に、会社が成長機会として提供する業務の一環として組み込むのが効果的です。
一方、「キャリア解決(駆け込み寺)」は、悩みを抱えた時に、いつでも誰でもアクセスできる仕組みが不可欠です。こちらは業務命令ではなく、本人の意思で活用できる窓口として、プライバシーが守られる安心感と共に広く周知することが重要です。
3.それでも「拒否」されたら? 心の扉を開く3つの処方箋
さて、問題は主に「キャリア開発(定期健診)」を案内した際に起こる「拒否」です。これには、誤解や不安が背景にあります。その壁を乗り越えるための3つのアプローチをご紹介します。
処方箋①:丁寧な「目的」の説明
「これは評価や査定の場ではありません。あなたの未来の可能性を一緒に探る、ポジティブな作戦会議です」と、言葉を尽くして伝えましょう。「面談」という言葉を「1on1ミーティング」や「キャリアデザインの時間」といった柔らかい表現に変えるのも一つの手です。
処方箋②:「満足度80%」という事実を伝える
「実は、この面談を受けた方の8割以上が『最初は不安だったけど、受けて本当に良かった』とおっしゃっています」と客観的な事実を伝えてみてください。「自分だけじゃないんだ」という安心感が、相手の心を少し開くきっかけになります。
処方箋③:無理強いせず「待つ」姿勢を見せる
それでも難しい場合は、無理強いは禁物です。「承知しました。もしお気持ちが変わったり、話したくなったりした時は、いつでも歓迎します。私たちは待っていますから」と、選択権を相手に委ねましょう。この敬意ある姿勢が、遠回りのようでいて、信頼関係を築く一番の近道なのです。
内定承諾を得て安堵するのも束の間、「本当に自社を選んでくれるだろうか」という内定辞退への不安は、人事担当者にとって尽きない悩みです。懇親会や事務連絡も重要ですが、学生一人ひとりが抱えるキャリアへの期待や漠然とした不安に、私たちはどこまで寄り添えているでしょうか。
この課題に対し、私は今年、新たな内定者フォローとして二段構えのプログラムを企画・提案しました。まず全員参加の「キャリアデザインセミナー」を実施し、社会人としてのキャリアの考え方や自社で描けるキャリアパスの多様性をインプットしてもらいました。その上で、希望者一人ひとりと個別に行う「キャリアコンサルティング面談」の機会を設けたのです。セミナーという「集団」での学びから、面談という「個」へのアプローチへつなげる狙いでした。
セミナー後の個別面談。私の前に座った内定者たちの多くは、当初「何を話せばいいのだろう」「うまく話せるだろうか」と、正直、不安だらけの表情をしていました。
そこで私が何よりも大切にしたのは、「評価する場」ではなく、あくまで「あなたのための対話の場」であるという雰囲気づくりです。守秘義務を約束し、「セミナーを受けてみて、どうだった?」「入社後のキャリアで、今、一番楽しみなことや、逆に一番心配なことは?」と、焦らずゆっくりと耳を傾けることに徹しました。
すると、どうでしょう。対話が進むにつれて、彼らの強張っていた表情がみるみるうちに和らぎ、最後には「話せてよかった」と、とても安心した晴れやかな表情に変わっていったのです。「自分の強みを活かせる部署のイメージが湧きました」「入社までに何を学べばいいか明確になり、モチベーションが上がりました」といった前向きな声。それらは、彼らが会社から一人の人間として向き合ってもらえたと感じた証でした。
面談の内容は、内定者のエンゲージメントを高めるだけでなく、我々、会社側にも想像以上の収穫をもたらしました。
個人のプライバシーに配慮した上で、面談から見えてきた彼らの期待や不安、ポテンシャルをレポートにまとめ、経営層や配属予定部署の管理職へ報告。これが、組織に大きな意識変革をもたらしたのです。「こんなに意欲的な新人が入ってくるのか!」「彼らの不安を解消するために、我々受け入れ側の準備がもっと必要だ」といった声が上がり、OJT計画の見直しやメンター制度の具体的な検討が始まりました。
この一連の取り組みは、単なる内定者フォローに留まりません。未来の仲間たちの声に真摯に耳を傾けることが、会社側の「受け入れ体制」や「育成文化」そのものを進化させる絶好の機会となったのです。それはまさに、未来への最高の投資と言えるでしょう。
先日、ある企業様で50代社員を対象としたキャリアデザイン研修に、講師として登壇させていただきました。多くの方が、ご自身の豊富な経験と真摯に向き合い、セカンドキャリアに向けて瞳を輝かせる姿に、一人のキャリアコンサルタントとして大きな手応えを感じる時間でした。
しかし、その一方で、私の心に小さな棘のように刺さった光景があったのも事実です。
一部の参加者の席から、かすかに聞こえてくるのです。「今さらやったって…」「どうせ会社は俺たちのことなんて…」そんな心の声が。グループワークでは腕を組み、どこか他人事のような表情で、窓の外に目をやっている。その背中は、長年会社に貢献してきた誇りとは少し違う、「諦め」や「戸惑い」といった感情を雄弁に物語っているように見えました。
彼らも、かつては情熱を持って仕事に取り組んでいたはずです。しかし、長年の経験がいつしか変化を拒む「鎧」となり、新しい学びや挑戦を遠ざけてしまっているのかもしれません。その気持ち、分からなくもありません。しかし、私たちはもう知っています。人生100年時代において、「60歳でゴールテープを切る」というキャリアモデルは、もはや幻想に過ぎないということを。
年金制度の議論が活発化し、働く期間がますます長くなるであろう未来。私たちに問われるのは、過去の役職や成功体験ではなく、「これから先も、価値を提供し続けられるか」という、いわば「雇われ続ける力」です。それは、決して会社にぶら下がる力ではありません。自らの意思で学び、変化し、プロフェッショナルとして貢献し続ける力です。
あの研修の日、諦めの背中を見せていた方々。彼らの「学びの壁」を壊すのは、一回の研修だけでは難しいでしょう。それは個人の意識の問題だけでなく、「どうせ変わらない」と思わせてしまった会社の風土や仕組みにも、原因の一端があるのではないか――。これは、私が多くの企業様で研修をさせていただく中で、共通して感じる課題でもあります。
では、企業の人事・総務ご担当者様にできることは何でしょうか。研修を一過性のイベントで終わらせず、上司からの継続的な働きかけを促すこと。学び直しに挑戦する社員を、評価や称賛で後押しすること。そして何より、50代が輝き続けることが、下の世代にとっての希望になるというメッセージを、会社全体で発信し続けることではないでしょうか。
ベテラン社員の諦めの背中は、若手社員の未来への不安を映す鏡です。その背中を、希望に満ちた誇らしいものに変えていく。それこそが、企業の持続的な成長を支える、重要でやりがいのあるミッションだと、私は信じています。